げっそーりー
『洗脳』……今までの自分を”暴力的”に破壊され、新しいアイデンティティを植え付けられる
一般的に、「洗脳」と「マインド・コントロール」という言葉は、似たような捉え方をされますが、その手法は大きく異なります。『洗脳』は、今までの『自己アイデンティティ(自分自身の心の核をなすもの。自分がどういう人間かを表すもの)』を破壊し、新しいアイデンティティを植え付ける手法です。強制的に「まったく違う自分」を作り出す、という行為になります。

例えば、19世紀、戦争捕虜などに対して行われていた洗脳では、「アイデンティティにおける『死と再生』」が掲げられていました。誰しも、生まれてから今までの人生で、その人のアイデンティティが培われてきていますが、これを、心身ともに虐待したり、攻撃したりすることで崩壊させ、「これまでの自己」と決別させるのです。そして、「新しいアイデンティティを受け入れれば、苦痛から救われる」という構造を作り、本人自ら新しい自分を受け入れるように仕向けていきます。

一旦、今の自分を粉々に壊され、“精神的な廃人“とされるという意味でも、「洗脳」は、暴力的で恐ろしい、非人道的な行為です。植え付けられた「新たな自分」は、他者に完全にコントロールされた人格なので、その者の欲求に従った行動をとるようになります。妄信的に洗脳者の言うことを聞く状態の人間というのは、このようにして作られます。

『マインド・コントロール』……暴力的に攻撃しない。本人が気付かないまま、新しい人格にすり替えられる
一方の「マインド・コントロール」は洗脳と違い、決して暴力で心身を攻撃するようなことはしません。こちらは、その名のとおり、「マインド(心理)」を巧みに操作することによって、本人もコントロールされていると気付かないままに、新しい人格にすり替えられてしまうのです。当人には、「誰かに強制されている」という意識が全くないため、一度ハマると、抜け出すことがなかなかできにくいのも特徴です。

心理学者の西田公昭氏は、カルト宗教の勧誘手口を分析することで「マインド・コントロール」の手法を詳しく調査しており、主な勧誘の流れを、以下のように説明しています。

まずは個人的に親しくなる。自分に好印象を持たせ、好意的な関わりを保つ
⇒それによって、自分の話や勧誘内容に「好奇心」や「期待」を持たせ、相手自身から、それに関わろうとさせる

つまり、マインド・コントロールでは、被害者に「無理強いではなく、自ら選んだ道ですよ」と思わせることが、要なのです。相手が進んで心を開くように、もっていくのですね。被害者たちは、「勧誘内容が正しいかどうか」を判断してから関わり始めるのではなく、好意的な行動によって先に勧誘者に心を掴まれ、セミナーや講義などを受講するなど、かなり深く関わった後から、「これは正しい会だ!」と判断をし、ハマっていくのだそうです。

簡単にまとめると、「今のお前はダメなのだ。変われば救われるぞ!」と攻撃的に追い込んでくるのが、洗脳。「仲良くなりましょう、私はあなたのことを考えているのよ……」と親しく近寄ってくるのが、マインド・コントロール。どちらも、心が弱っていれば、その言葉にすがってしまうことが誰にでも起こりうる、恐ろしい心理操作です。

ですので、自信喪失しているとき、心が疲れた、弱っていると感じたときは、見知らぬ人、近寄ってくる人ではなく、必ず、家族や長く関係を続けている友人などに、頼り、助けを求めるようにしましょう。環境を変えたり、田舎へ旅に出たり、休みを取って好きなことをしたりなど、普段から自分で「心を健康に保つ方法」も、しっかり身につけておきたいものですね。
yuiseki:

ネット環境にいると、自分がもともと正しいと思っている情報を選ぶ傾向が強まる。まるで自分の「こだま」を聞いているようなメディア環境、Echo Chamberとも言われる状況では、リアリティが偏りはじめる。同じ事実に対しても、情報をねじ曲げてしまう。ネットではリンクを辿っても異なる意見には接触できない、違う意見に接触しないリンク構造が実際に生まれているという。その結果、異なる意見に対して非寛容な態度が醸成され、民主主義が機能不全を起こしてしまう方向に向かっている。メディアは強力だとこれまで思われていたが、もともとの意見と一致するメディアだけを選ぶ傾向が強まることで、意見が変化しない方向でしか情報に接触しないようになると、結局、意見を変えるきっかけを与えていないことになる。 (via 【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】 ネット時代の社会的リアリティ形成や、錯覚を数学で理解する試み ~国立情報学研究所オープンハウス2011)

yuiseki:

ネット環境にいると、自分がもともと正しいと思っている情報を選ぶ傾向が強まる。まるで自分の「こだま」を聞いているようなメディア環境、Echo Chamberとも言われる状況では、リアリティが偏りはじめる。同じ事実に対しても、情報をねじ曲げてしまう。ネットではリンクを辿っても異なる意見には接触できない、違う意見に接触しないリンク構造が実際に生まれているという。その結果、異なる意見に対して非寛容な態度が醸成され、民主主義が機能不全を起こしてしまう方向に向かっている。メディアは強力だとこれまで思われていたが、もともとの意見と一致するメディアだけを選ぶ傾向が強まることで、意見が変化しない方向でしか情報に接触しないようになると、結局、意見を変えるきっかけを与えていないことになる。 (via 【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】 ネット時代の社会的リアリティ形成や、錯覚を数学で理解する試み ~国立情報学研究所オープンハウス2011)

著作権は今は複製権制御だけれど、クラウド時代にはアクセス制御にシフトするイメージ。別にシンクライアントでなくても、ユーザーのストレージにあるコンテンツへのアクセスを制御できればOK。PC世代が老いる(少数派になる)のって、30~40年程度? もっと短い?

Tristan_Tristan

いやいやいや、だから10年くらい前からLessig教授はそういう世の中になるんだから気をつけないとダメだよ、と訴え続けているわけで。だからこそのアーキテクチャ論なわけだし。PC世代が老いるのを待つ必要なんてどこにもないので30年もかからない。もしかしたらあと5年もすればそういう世の中になります。技術的な実装方法なんてどうでもよくて、著作権問題は要するに法律論の話なんです。

(via pdl2h)

(via hexe) (via raitu)

上述の文章は勢いだけで書いたので意味不明なところが多いはず、なので解説します。自分が著作権関連の話題にコミットしてたのは2001年から2004年あたりまでなので、その当時の知識のままです。creativecommons.orgのBlogも最近はきちんと追いかけていないので状況変わってるとは思いますが、一応メモ。

Lessig教授が1999年に世に問うた”Code: And Other Laws of Cyberspace”には、今では有名になってしまったアーキテクチャという言葉が出てきます。では、東氏や濱野氏が好んで用いるアーキテクチャとは一体どういう言葉として使われたのか。

Lessig教授のインターネットにおける法規制の考え方は、Journal of Legal Studiesの1998年6月号に掲載された”The New Chicago School”という論文がベースになっています。論文はPDFファイルで入手可能です。インターネットにおける法律論を語る上で外せないはずの論文なのですが、邦訳はまだ出ていないようです。
http://www.lessig.org/content/articles/works/LessigNewchicschool.pdf

“The New Chicago School”は訳すと「新シカゴ学派」です。ちなみに経済学におけるシカゴ学派とは全く別のものです。Lessig教授はこの論文で規制の在り方が変容してきていることを論じます。

Lessig教授は制約条件(constraints)は4つあると指摘します(p664)。

1. 法律(Law)
2. 市場(Market)
3. 規範(Norm)
4. アーキテクチャ(Architecture)

細かい内容は割愛して、旧シカゴ学派と新シカゴ学派の違いを書くと

  • 旧シカゴ学派=4つの制約条件は独立している。だから法は他の3つの制約条件に対して非介入の立場を採るべきだと主張
  • 新シカゴ学派=法が他の3つの制約条件に制約を課すことで、主体を間接的に制約することが可能だと主張し、そのような間接的な法の介入に対しても、法律学が対応できるようなアプローチが必要だと主張

と書いても何のことだかわかりにくいので図で説明。

旧シカゴ学派は中央の◎(規制対象となる主体)にこうやって規制をかけると考えます。


新シカゴ学派は中央の◎(規制対象となる主体)にこうやって規制をかけると考えます。

で、Lessig教授は、「法律が他の3つに介入して間接的に主体に対して規制をかけるようになってしまうから、私たちは法律の作られかたに対してもっと敏感であるべきですよ」と”Code: And Other Laws of Cyberspace”で論じることになります。だから”Code: And Other Laws of Cyberspace”は著作権やインターネットについて語る本であると同時に、民主主義の在り方を論じる本でもあったのです。

ここまで読むと、「あれ、Lessig教授って著作権法やインターネット法律論の専門家じゃなかったの?」と疑問に思う人もいると思います。Lessig教授は、実は最初から著作権法を専門に扱っていたわけでも、インターネットが主な活動領域でもありませんでした。彼の専門は憲法学です。では何故、彼がインターネットにおける著作権法について語る書籍を何冊も出版したのか。それは、インターネットにおいては著作権法が憲法のような扱いになるからでした。表現の自由はその表現が流通することで実現しますが、インターネット上では著作権法の在り方によってその自由が制限されるからです(では、インターネット上ではどのような自由であっても許されるべきなのか、はまた別の問題で、これはSunsteinという人が”Republic.com”という本で取り扱っています)。

で、最初の問題意識のところに戻ります。

Tristan_Tristanさんは「複製権制御」から「アクセス制御」へシフト、という話をしていました。印刷技術による情報流通の世の中から、インターネットが情報流通の主流となる世の中に変わると、「アクセス制御」による情報管理ができるようになる、と。確かにそれはその通りだと思いますが、こと著作権法の観点からみた場合、そして先に図説した新シカゴ学派の考え方に則った場合、技術的な制約条件のありかた(アーキテクチャ)は法律の在り方によってどのようにでも変換することが可能となります。つまり技術的な制約条件がどうであるか、はとどのつまりどうでも良いのです。

私が「技術的な実装方法なんてどうでもよくて、著作権問題は要するに法律論の話なんです」と書いたのは、そういう意味があってのことでした。

(via pdl2h) (via hexe)

しかし、著作権とはそれ自体が自己完結できるシステムではありません。著作権が「どのように創造活動の結果が取り扱われるべきか」というルールを示しているとすれば、実際に「どのように創造活動が行なわれるのか」ということは技術的な問題です。
その意味で著作権とは、作品を記録し、伝達し、共有するために利用される技術の本質に依存しているといえます。そして端的にいえば、今日の著作権問題とは、現代の著作権が想定している技術と、実際に私たちが手にしている技術の間の乖離に起因しているのです。

『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』 p.11-12

CCjp 理事のドミニク・チェン氏の著書。ちなみにこの本は by-nc-sa で提供されていて PDF 版もある。まさに Tumblr 向きの本w

日本ではあまり聞かない気がするが, CC は Free Culture に昇華している。日本でも Free Culture をベースにした議論があればダウンロード違法化やその刑罰化がいかにダメな議論であるかが分かると思うのだが…

ちなみに CC では現在 cc-license 4.0 ドラフトの議論が盛んだが,英語不得手なので全然議論が追えない orz 誰か私のような言語不自由な人のために解説してください。

(via hexe)

自分でやった方が早い病」とは

■病状
 ・「自分でやった方が早い」という考えに陥る

■2つの発症パターン
 ・まわりよりも自分ができてしまうから
 ・相手に悪いし、お願いが下手だから

■かかる人
 ・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い

■病の原因
 ・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
 ・まわりの人と一緒に成長しようとしない
 ・基本的な教育ができていない
 ・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
 ・自分大好き人間

病状が悪化すると

・「孤独な成功者」になる
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる

克服できると

・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる

処方箋

■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること
 ・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
 ・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
 ・育てる、任せるから見た失敗は、成長

■まわりの人をヒーローにする
 ・損な役回りを引き受けてみる
 ・目先の損を取って、長期的な得を得る

■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
 ・仕事は責任とセットで任せる
 ・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる

■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
 ・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
 ・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない

■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
 ・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
 ・D(実行)の部分は部下に任せる

■あえて70点のマニュアルを作る
 ・残り30点は部下が自分で考える部分
 ・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう

1.欲しいものを明確にして探す
何の情報でも割とそうなんだと思うけど、何をするかが明確になっていないと、やたらといろんな情報を求めて、かえって何を探してるのか混乱してしまうことがあると思います。いろんな店を見てまわったけど目移りするばかりで結局収穫なしのウィンドウショッピングみたいに。
まぁ、ウィンドウショッピング自体を楽しむのが目的ならそれでもいいけど、何の収穫もなしっていうのは情報収集活動でもありなの?ってとこは疑問。ましてや何かしらの目的があって情報収集をはじめたなら収穫がなければただの時間の無駄ですよね。そうならないためにも自分が何を探しているのかを明確にして収集活動中はそれ以外に目移りしないよう集中しないとダメです。

2.自分に合った情報に集中する
同じ意味をもつものでも表現の仕方で摂取しやすい情報とそうでない情報があると思っています。効率的に情報を摂取しようと思えば、自分に合った情報を選んで探したほうがいいと思います。
食べ物の好き嫌いはよくないかもしれませんが、表現の好き嫌いで情報を選ぶことはむしろ健康によいのかも。

3.自分でも積極的に情報発信する
これは情報のほうが自分に寄ってくるような仕組みをつくるための行動です。情報のほうから寄ってくる(つまり、誰かが教えてくれるようになる)ためには、この人って何が欲しいんだろ?ってことが外から見て明確になってないといけません。だから、自分が何が欲しいかを常に明確にして、その声をより遠くまで届くようにしておくことが必要。
遠くまで届くようにっていうのは、例えば、ブログの読者を増やすとかですよ。これ、実は1番重要で、かつ効果的。

4.いい情報源を見つける
これはもうブログ時代なら当たり前ですよね。自分が必要としている情報の傾向がある程度わかっている人なら、その情報はどこから仕入れられるかを常に数箇所知っておくといいはずです。RSSで情報をチェックしておけば、基本的には探しに行かなくても勝手に情報が寄ってきますから。
で、僕が思うにこれはいわゆるニュース系サイトをチェックするのも幅を広げるためにはいいんですけど、ある程度の深さを求めるならサイトではなく人でチェックしないとダメだと思っています。さらにいうと人を選ぶ際もすでに書かれた内容だけでなく、この人は将来的にこんなことも書くんじゃないかと予測も立てつつ選べたらベストですね。

5.芋づる式に情報を見つける
まぁ、ここまで読んでくれた人には、なんとなく伝わったかもしれませんが、情報収集って必要になってから探すんじゃ遅いと思います。必要になる前に探しておく、情報が得られるようにしておくことが大事です。
で、最後の1つも結局そういうことなんですけど、1つの情報を得たらそれで終わりにするんじゃなくて、そこから芋づる式に情報を得ておくということを心がけることが大事だと思います。これは最初のウィンドウショッピングにならないようにするというところとの兼ね合いでむずかしいとこでもありますが、情報収集の目的を見失わないようにしつつ、将来的に役立ちそうな情報源にはツバをつけておくってことは情報収集の効率化を考える上では大事だと思っています。
僕の場合、ある本を読んでいると大体、次に読みたい本が具体的な書籍名だったり著者のレベル、テーマのレベルで見つかります。その本を読んでいるあいだはそれに集中しつつも、次に読みたいと思ったことは忘れずに、本を読んでいないときにamazonで買っておいたり、すぐに買わない場合でもブックマークやウィッシュリストに入れておくようにしています。そうすると、あとで情報収集をする手間が省けます。
これは本の場合じゃなくても、Web上の情報収集でも、他のリアルなシーンでも使えるはずです。

同じ品質、同じ量のアイスクリームを、「四角」と「丸」、別の容器に入れて、価格を揃えて販売すると、 「丸」い容器のほうが圧倒的に売れる。それがマーガリンなら、白いものよりも、黄色く着色したほうが売れる

ユーザーに「どんなアイスクリームが食べたいですか ?」なんてアンケートを行ったところで、 「丸い容器がいい」なんて回答は得られない。誰もが自分は「自分は頭がいい」と思っているから、 アンケートには「品質がいいもの」だとか、「環境に優しいもの」だとか、考えているようでいて、 自分の購買を促した何かとは全く異なった答えを返す

丸いアイスクリームを購入した人に種明かしをして、「どちらも同じだったんですよ」なんて指摘したあとでさえ、 たいていの人は気取ろうとする。素直な人なら、「こっちのほうがおいしそうに見えたから」なんて 感想を述べるだろうけれど、「頭がよく見られたい」ほとんどの人は、「丸い容器のほうが丈夫」だとか、 「丸い容器のほうが環境により優しい」だとか、種明かしをされるほんの一瞬前まで、 想像もしていなかったような「事実」を、その場で創作してみせる

共同体工学のすすめ - レジデント初期研修用資料 (via edieelee) (via kuruyoku) (via theemitter) (via mmqqbb) (via kuriz) (via sasagon) (via beglog) (via toshi0104) (via kiri2) (via syuu29) (via skaholic) (via phyllite) (via interglacial) (via layer13) (via pyorohiko) (via syabuichi) (via homh)
1. Social Networks in 2011 by Ben Parr
・Googleのソーシャルネットワークは、手ひどく失敗するだろう
・中途半端な規模になってしまったMySpaceは、売りに出されるだろう
・Beboのオーナーは、また変わるだろう
・Facebookの上場は、2011年にはないだろう
・Twitterは、堅実だが代わり映えのない年になるだろう
・今年のソーシャルネットワークのトレンドは、すばりモバイルフォトだろう
 
2. Social Media Marketing in 2011 by Tim Feriss
・YouTubeは、Yahooを凌駕するだろう
・Eメールは、よみがえるだろう
・大企業は、意味のない効果測定にお金を浪費するだろう
・広告と会話は、さまざまなコンバージョンレイトに影響を与えるだろう
3. Degital Advertising in 2011 by Jesse Thomas
・ローカル広告は、ふたたび地域と関係を深めるだろう
・Madison AevnueからSillicon Valleyへ。広告系の花形業種は移動するだろう
・インフルエンサーは、ソーシャルウェブにおけるセレブリティになるだろう
・新興ベンチャーから、新たなソーシャルメディアのスターが誕生するだろう
・ブランドは、よりメディア企業のようになるだろう
・Facebookの「Like」は、ブランドにとって重要になるだろう

4. News Media in 2011 by Vadim Lacruslk
・漏洩(Leaks)とジャーナリズムは、新たなメディア要素になるだろう
・多くのメディアで買収劇がおきるだろう
・タブレットオンリー、モバイルファーストを標榜する新しい企業が登場するだろう
・ローカルベースの新しい消費が発生するだろう
・ソーシャル vs 検索 の競争が続くだろう
・海外特派員はなくなっていくだろう
・大手メディアは独立系専門チームを束ねる巨大キュレーションとなるだろう
・ソーシャルでつくる物語(電車男のような)が世の中に輩出されるだろう
・報道機関は、ソーシャルメディアをよりスマートに使いこなすだろう
・インラクティブTVが陽の目をあびるだろう

5. Mobile in 2011 by Christina Warren
・タブレットへの熱狂が最高潮に達するだろう
・モバイルでの写真共有は、動画にまで広がっていくだろう
・HTML5アプリが急増するだろう
・Flashは今後もモバイルでは重要な存在にはならないだろう
・Verizon版iPhoneが登場するだろう

6. Startups in 2011 by Jennifer Van Grove
・オブジェクト・タギング(QRコードなどのタグ化)が注目されるだろう
・エンターテインメントへのチェックインサービスが注目されるだろう
・オンライン・コミュニティが、デジタル体験において最も重要になるだろう
・よりプライベートなロケーションサービスが人気をあつめるだろう
・モバイル写真共有がブームになるだろう

7. Music in 2011 by Brenna Ehrlich
・会員制音楽配信サービスは人気が出るが、儲からないだろう
・多くのアーティストが、ソーシャルメディア活用に本腰をいれるだろう
・Music Videoは引き続き発展していくだろう
・Ping(AppleのMusic Social Network)は、決して流行らないだろう
・音楽著作権は死なないだろう

8. Game in 2011 by Charlie White
・スマートフォンや専用ゲーム機など、モバイルゲームの需要が増えるだろう
・モーションゲーム用デバイスが飛ぶように売れるだろう
・Flashは崩壊 〜 特にモバイルでは、HTML5が伸びるだろう
・WiiにはHD(高解像度)が必要だろう
・人気ゲームのリリースは遅れるだろう
・Appleが家庭用ゲーム機分野に参入するだろう
・大ヒットiPhoneゲーム、Angry Birdには様々なバリエーションがでるだろう

9. Connected Devices in 2011 by Brian David Johnson
・どこにでも、スクリーン、スクリーン、スクリーン・・・
・次のコンピューティング環境は、ベッドだろう
・車は、あなたを運ぶモバイルデバイスとなるだろう
・人々は、やっぱりテレビが好き

10. E-Book Publishing in 2011 by Phillip Ruppel
・より高機能の電子書籍リーダーが登場するだろう
・デバイス戦争はもうまもなく終わるだろう
・$9.99電子書籍(安売り)は、長くつづかないだろう
・今読んでいる書籍から次の関連書籍へアップセルするビジネスモデルが現れるだろう
・出版社は(質の悪いコンテンツがあふれるため)より重要な立場になるだろう

nobodyplace:

「猫、見つかったんだ…」よかったねと言いたくなる1枚の写真:らばQ

議論が平行線になる場合往々にしてそうなのだけど、
これだけ意味不明なことを言われるということは、
多分何か根本的なところで前提認識がズレてるんだろうことは想像に難くない。
原因を考えてみた。

恐らく、「本の本質をハードウェアと捉えているか、ソフトウェアと捉えているか」
にあるんだろうな、というのが今のところの結論。

自分のようなソフトウェア側で捉えている人間は、
「本というのは何かしらの情報を伝えることを目的としていて、情報そのものが本質である」
と考えている。
20世紀までの技術で一番効率が良かったのが、
たまたま紙にインクをのせるという手法であったから現在の本という形をしているだけで、
これから情報技術が進歩していけば、もっといい形態を取りうるだろうし、
むしろそうなって欲しいと思っている。